オメガ[OMEGA] オメガ修理 修理工房 時計の豆知識

オメガの歩んだ繁栄と危機の歴史

数多くあるスイスの高級時計メーカーの上位に君臨し続ける「オメガ」

誰もが安心して使うことのできる腕時計。

その優れた性能と耐久性は、オメガの歩んできた歴史と経験が生みだしたものとも言える。
本記事では、オメガの歴史を通して、その魅力に触れていきたいと思う。

オメガの誕生

創業者ルイ・ブラン

ルイ・ポール・ブラン

セザール・ブラン

1848年、ルイ・ブランが時計工房を創業。

当時は、懐中時計を製造していた。やがて、1879年ルイ・ブランがこの世を去り、息子ルイ・ポール・ブランとセザール・ブランが経営に参加する。

1894年、伝説的な名機「cal.19」が誕生。

あまりの完成度の高さから「これ以上は到達は不可能、最高傑作だ」という意味をこめて「Ω(オメガ)」と名づけられた。

1903年、名機キャリバー名がそのまま採用され「オメガ」が正式な社名に。

オメガの繁栄

1902年のオメガの工場

当時、時計製造は手作業が主流だったが、オメガでは製造工程を自動化、パーツごとの分業化を採用するなど、製造改革を起こし、生産規模を拡大。知名度を上げる要因にもなった。

1932 オリンピックの計時に抜擢

1932年、ロサンゼルスオリンピックから公式タイムキーパー(計時)をつとめることとなった。
それ以降数々の大会で公式タイムキーパーとして活躍。
ロサンゼルスオリンピック以降、計時技術は時代が進むにつれて進化していった。

1948 オメガの計時技術の進歩

1948年、ロンドンオリンピックでは、スポーツの計時における2つの目覚ましい革新が見られた。


ひとつはオメガのフォトセル(光電子装置)”マジックアイ”だ。
この装置は、フィニッシュラインを選手が通過した正確な解間を記録し、長年使用されてきたゴールテープの問題を解決した。

上記画像は、東京オリンピック2020で使用されたオメガのフォトセル。かつてのゴールテープの役割をになっている


そしてもうひとつはブリティッシュ・レース・フィニッシュ・レコーディング、カンバニーが開発した写真判定装置。
短距離走で選手たちがまとまった状態でゴールした場合も、写真判定用のカメラが記録した映像が数分で現像できたため順番がすぐに把握できるようになった。
また、のちに史上初の電子計測機器である「オメガ・タイム・レコード」が開発され、ヘルシンキオリンピックでは、クォーツ式で1/100秒を計測可能にした。

オメガの計時は進化し、現代スポーツにとって、なくてはならない存在となった。

1948 シーマスター誕生

1948年、「シーマスター」誕生

ブランド創業100周年を記念して、1948年にオメガの代表作「シーマスター」を発表。オメガ軍用ウォッチの功績を受け継いだこの時計は、空や海の中のさまざまな過酷な状況に耐えうるよう設計された。現在も確固たる信頼性と優れた防水性で知られるシーマスターは、ブランド時計製造において絶え間ない追求の永遠のシンボルとなった。

1952 コンステレーション誕生

画像は、デザインが確立された現行のコンステレーション

1952年、「コンステレーション」誕生

空高く輝く8つの星にちなんで「コンステレーション」と名付けられた。美しい外装品質と優れたムーブメント精度はすぐに業界に知れ渡り、”スイスウォッチ”の代表格となる。

コンステレーションの裏蓋彫刻にあしらわれた8つの星は、オメガがキューテディントンおよびジュネーブの天文台で20世紀中盤の間に達成した、精度における8つの記録を象徴している。星と天文台のアイコニックな刻印は、こうした成果に対するリスペクトである。

1957 プロフェッショナルライン創設

1957年、オメガはプロフェッショナルラインを創設。このラインから「スピードマスター」「シーマスター300」「レイルマスター」が誕生。
のちに「スピードマスター」はアメリカ航空宇宙局(NASA)との宇宙探査の未来を担う時計になる。
海底探査としての案内役として担ったのが「シーマスター300」。
「レイルマスター」は1000ガウスまでの耐磁性を有しており、商品化された初の時計として地上における時計としての精度の象徴となった。

1967 デ・ヴィル誕生

1967年、「デ・ヴィル」の誕生

1967年、シーマスター・デ・ヴィルから”シーマスター”を取って、デ・ヴィルはひとつの独立したラインとなった。
発表時、デ・ヴィルは、すでに性能が証明されていたオメガのムーブメントに、繊細な仕上げとデザインが組み合わされているという点で大きな注目を浴びた。

よりシンプルで、スリム。

バリエーションも豊富なこのコレクションは、洗練されたフォルムで高い評価を得た。

危機を乗り越えたオメガ

20世紀のオメガは、世界的な時計メーカーへの発展と経営難という両極の言葉で表すことが出来る。
ここでは、二度の経営難に陥ったオメガがどう危機を乗り越えてきたのかをご紹介する。

1、世界恐慌による危機


1929年、戦争を背景とした関係国への輸出量の減少,生産過剰による大量の在庫などが、経済に不安を広げ、世界恐慌をひきおこすこととなった。
世界恐慌はオメガの前途にも暗雲となり立ちはだかったが、同じくスイスの名門時計メーカー「ティソ」とSSIHグループを結成することで、なんとか危機を乗り越える。

2、クオーツショックによる危機

1969年、セイコーが発表したクオーツ時計は、数々の名門時計メーカーを倒産に追い込んだ。

オメガも他ならずクオーツ時計の衝撃により経営難に陥り、1980年にはセイコーからの買収騒動が起こったほどであった。
オメガだけでなく、スイスの時計メーカーが経営難に陥る中、ETA社から独立したスウォッチを中心に合併が始まり、1986年にはSSIH、ASUGA、ETA、スウォッチなどの時計企業集団が合併することでSMHグループが創設された。のちに名は変わり、世界一の時計企業グループ「スウォッチグループ」が誕生した。

2つの危機を乗り越えたオメガ

二つの危機を乗り越えたオメガは、今ではスウォッチグループの看板企業として、機械式時計の復権を担っている。時計業界の歴史の中でも大きな潮流の中心にいたオメガ。

現在のように、世界中の人々から愛される時計となるまでには数多くの困難があった。
そして、困難を乗り越えた歴史があるからこそ、オメガは強固なブランド価値を確立した。オメガの時計作りに対する飽くなき追求は、ユーザーを魅了するに留まらず、時計業界を支える礎にもなっている。

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